松本零士壁画プロジェクト 経緯と詳細

メーテル、鉄郎、車掌、ミーくん

愛媛県大洲市新谷小学校の松本零士壁画プロジェクト、その詳細のご報告です。

新谷小学校改築にともなうプラン

大洲市の新谷小学校改築にともない、ゆかりのある松本零士氏の作品に関する壁画の計画が発案されました。このプランを思いついて推し進めた市のKさんとの出会いから、細井工房も関わることになりました。
当初漠然と「松本先生のオリジナル作品」の記念碑的な壁画をお考えでした。フレスコ画が可能か、パネルでの納品はどうか、先生が直接描くことの可能性、監修について、描き手と松本先生の絡みについてなど、制作技法や条件やさまざまな要因について話し合い、詳細を詰めていきました。

当初は、絵描き屋としての技術的な面からだけお話をしていましたが、そのうちプラン自体の奥底へずぶずぶと入り込んでいました。

準備期間・壁画プランの決定

当初はフレスコ画の制作を目指していたので、実際に漆喰メーカーさんの協力を得てさまざまな実験や試作を行いました。しかしどうしても立ちはだかる壁がありました。そのひとつは現場での制作が困難で、パネルでの納品が必須となったことです。この頃はまだ松本零士氏との共同作業の可能性も探っていましたから、現場での制作はさすがに不可能、建築工程的にも余裕がありませんでした。
木パネルの下地にフレスコ画を施工し、それを運搬して現場で取り付け、現場で補修するというのは難易度が高すぎて現実的でないと判断し、別の材料で行うことを決めました。
そもそもこの壁画計画の一番大事な点は「ゆかりある松本零士氏のオリジナル原画を壁画にする」ということです。
特別に古典的なフレスコ技法や材料にこだわることが他の要因を圧迫するのであれば、それは本末転倒なことになってきます。

最終的には、フレスコ画に近い何らかの現代的な材料を用いて施工するという結論に達しました。じつはこの頃、市のKさんはとっくにフレスコにこだわらないというふうにお考えで、こだわっていたのはむしろこちらの方でした。壁画にする以上、ただパネルに絵を描くだけではなく、壁面の造作も含めてより立派な作品に仕上げることを目指しました。

試作につぐ試作

古典的な材料と技法によるフレスコ画の良さは判っています。漆喰や自然素材の良さもわかります。しかし個人的には、画材にも時代に応じた変化があり、それを闇雲に否定すべきでないという考えを持っています。
例えばどこかにも描きましたが、本国イタリアでさえ、現代フレスコ画と言えば「壁に描いた絵」を指しており、普通にアクリル絵の具で描いた壁画を「フレスコ画」と呼んでいたりします。彼らにとって絵の技術的分類というのは常にソフトウェア的な意味であり、材料や技法にこだわるハードウェアのことではないということがわかります。
漆喰を多重に塗り重ねて削り取る技法も健在ですが、その材料は今や樹脂と合成した新素材が中心だったりします。

そもそもフレスコ画という技法にしても、本格的な湿式フレスコの他に、乾式フレスコの技法があります。乾式フレスコは、すでに仕上がった漆喰面に、バインダーを混ぜ込んだ顔料を用いて塗る技法ですから、柔軟に考えればそのバインダーが今風の樹脂であっても何ら不思議ではないのです。

そういうわけで、フレスコ画を目指す壁画の壁面材料についての試作に次ぐ試作を行いました。

技法実験 技法実験
技法実験

最終的には、アクリル絵の具のメディウムのひとつであるセラミックスタッコをベースに、あれこれと企業秘密の材料を合成したオリジナル素材を作ることとなりました。
パネルの変形や運送時のショックにも強いし、フレスコ画の風合いも残します。

松本零士氏との打ち合わせ

大洲市の方と何度か零時社へ足を運びます。大洲をテーマにした書き下ろし原画の依頼は、それはそれなりに色々と苦労がありまして、一筋縄ではいかないものでしたが、そのあたりは割愛するとして、原画と壁画に関する打ち合わせも同時に行います。

正直に告白しますが、漫画家を夢みていた少年時代、その絵柄に惚れ込み繰り返し松本零士漫画を模写していました。松本零士氏の描く個性的で美しい線は何とも魅力的で、揺れ方や曲線の癖まで真似していたものです。
話はそれますが、生涯を振り返って、徹底的に影響を受けた敬愛する先生がたが何人かおられまして、そのうち、これまで筒井康隆氏と松本零士氏にお会いしてご一緒することが実現しました。人生の自慢です。
それはともかく、そういう生い立ちもあって、松本先生の作品を壁画化することに関してはたっぷりの自信がありました。

最初の打ち合わせでは、はっきり言って雑魚扱いでした。しかし松本先生や奥様にお会いできた喜びでこちらはそんなことはどうでもよく、数時間、話を聞くだけで十分でした。
打ち合わせを重ねていくと職業人としての自覚もありますからもう大丈夫です。監修の件や、最終的な段取りなどいろいろ取り決めます。
松本零士氏にとっては、原画さえ完成すればあとは手が離れたも同然という感覚でおられたようですが、今回の壁画は何としても先生の作品であるという点を強調したいものですから、壁画制作中に何度か監修や手ほどきを受ける手筈も整えます。先生はちょっと面倒臭そうです。しかしめげずに、制作途中になんども連絡をして進行状況にお付き合いいただきました。

原画

2011年の秋に、書き下ろしの原画が完成し、零時社へ受け取りにまいりました。
大事な原画は、この後ずっと細井工房でお預かりすることになっています。

完成した原画の比率が、壁面の比率と異なっていました。横幅が足りないのです。
松本先生は「適当にトリミングして使ってくれ」と言われましたが、市のKさんは「トリミングなんてしたくない。全部使いたい」という気持ちがお強く、そこで細井工房細井尚登、奮起します。

実は私、比較的早い時期からコンピュータを導入していたこともあって、まるでオペレーターのようにコンピュータを使いこなします。
原画のスキャニングを行い、すべてのオブジェクトに詳細なマスクを施してから、絶対に誰にもわからないレベルで縦横比を変更しました。

それでもまだ横幅が足りないので、横の絵を継ぎ足します。実は私、若い頃から模写や文化財レプリカの仕事をしていたこともあって、こういう作業が得意です。
風景部分を描き足しましたが、そのペンさばきやタッチを見て、誰ひとり「ここから付け加えたな」とわかる人はいないでしょう。

原画 縦横比の比較

そういうわけで、少々水平方向を引き延ばした壁画用の原画ができあがりました。原画を変更しましたからもちろん松本先生にも確認をいただきます。まったく問題ありませんでした。

実を言いますと、これでもまだ横幅が不足しておりました。しかしこれ以上原画を触るのはもう無理です。
そこで、建築設計の先生が壁のほうに細工をしてくださいました。壁の両端に柱のような形状を設けて、一段階壁の横幅を短くする提案が功を奏し、収まりの良い壁画用の壁ができあがりました。
こうしてみんなの知恵と努力で、図面と現場と原画と壁画がぴったり填まることになりました。

壁の比率と原画の比率がぴったりになったので、あとはパネルを発注して実制作に取りかかります。

壁画の実制作

実際の制作工程を別ページにて公開しています。→壁画工程の記録

完成後

上記のような経緯と工程を経て、2012年春に壁画は一旦完成しました。
しかし一旦完成しただけで、まだシークレットです。
同年7月に、正式な完成とお披露目がありました。
その様子はまたいずれ、ご報告したいと思います。

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