映画「天地明察」の障壁画についてです。
細井工房は映画評論家ではないので、映画そのものの解説やレビューは他に譲るとして、自分が描いた絵がどのような演出をなされたか、その点のみの感想を書こうと思います。
絵はこのようなものです。まずはごらんください。 → 天地明察Facebook Pageより写真
紅白梅図は江戸城本丸大広間の壁画というか障壁画です。光圀公のおうちです。光圀を中井貴一氏が演じています。少ない出番ながら重要で特別な人物として登場します。光圀公の部屋は美術監督が特に力を入れたと語っておられるとおり、本当に凝りまくっています。紅白梅図でそのお仲間に加えていただいたことはたいへん幸運でした。
公開初日、さっそく観に出かけました。
正直言いますと「天地明察」を普通の映画気分では観に行っておりません。なんせ自分が初めて参加できた映画ですから、普通のお客目線で観れるわけがありません。自分の描いた絵が映るのか、どう映るのか、一瞬なのか、もうそんなことしか考えておりません。まったくもって卑しいことです。でも実際そうなんだから仕方がない。
「最初の光圀登場シーンで絵が映るに違いない」と思い込んでいました。大広間の壁画を背に、どどーんと登場する光圀の図なんてのを勝手に想像してたんですね。キューブリックみたいな感じで。逆に、そういう登場シーン以外に、あのでかい紅白梅図がちゃんと映る可能性はないと考えたからでもあります。まこと身勝手で卑しい発想です。
ところが光圀登場シーンは池で踊っているシーンでした。その後は主人公算哲と語り合うシーンです。室内に戻りまして壁画のある部屋のすぐ前の位置でふたりが食事を前に語り合います。
じつはこの食事をしている部屋のだまし絵も私描きましたが、それはちらりと見えたものの、もともと映るかどうか判らない場所であるのでこれに関してはこんなものだろうと思ってました。
で、肝心の紅白梅図ですが、あれ?あれ?と拍子抜け。食事シーンの遠く後ろに紅白梅図がそれとなく映っています。普通に背景として。もちろんピントは役者さんに合ってますからブラー状態で。しかもあんなに一所懸命描いたのに映ってるのは枝の先っちょのほんの部分だけです。
「最初にどどーん」を期待していたのでこれには少々がっくりでして「あぁ、やっぱりなあ、そりゃあそうだろうなあ、ただの背景画だもんなあ」と、「どどーん」なんて偉そうに思い込んでいた自意識過剰ぶりを猛省します。
物語はどんどん進み、それなりに没頭して楽しんでおりましたら、後半のクライマックスにかかるきっかけのシーンで、ふたたび光圀が登場します。障壁画も、序盤登場時よりは少し多めに映っています。
「あ、来た。また映った」もう絵が大々的に映ることは諦めて普通に映画鑑賞していたので、再び映っても過度の期待などいたしません。もうこれだけ映れば十分です。でもその直後、今度は度肝を抜かれました。
全体の俯瞰図がぬぼぼーっと映るというわけではありません。それどころか、もっと演出上シナリオ上重要な出方だったんです。登場人物の心情、役者の演技とシンクロするかのように突如として大々的に映し出される様を目撃しました。
最初は光圀と主人公の会話、緊張感ただようシーンです。ここで初めて、幹の太い部分と紅白の花が映ります。大広間のどえらい場所でのどえらい瞬間であるという表現とマッチして、緊張と重々しさを壁画が象徴するかのような登場です。
序盤の光圀登場シーンでは「わざと外しているのか」と思うほど、カメラが映す映像は壁画の中心部を避けていました。
後半のこのシーンでもう一度同じ障壁画がどばーっと映し出されたのを見たとき、序盤で「わざと中心部からずれた場所だけを控えめに映していた」ことが気のせいじゃなく本当に演出上そうしていたのだと確信しました。
最初の登場では枝の先っちょだけをチラリズムで映し出し、後半の盛り上がりで全体像をどかーんと見せるこの効果はまるで、気配と一部分しか登場しない謎の怪獣がクライマックスで全貌を現し暴れ狂うモンスター映画と同等の演出効果です。例えが変ですが判っていただけますでしょうか。
絵の中心部がどかーんと映し出されるまさにそのとき、映画内では光圀が刀を抜き算哲に突きつけている大盛り上がりのシーンであり、完全にストーリー上の盛り上がりと絵の映し方がシンクロしています。
短いカットが連続して現れ、その都度、構図の中に役者と壁画がガッツリ配置されています。あろうことか、カメラを斜めに構えた斜め構図まで登場し、伸びた枝と紅白の花が画面を水平に横切り、その手前で役者二人が決めポーズでフリーズしてるシーンまであります。
大袈裟に言うと、紅白梅図も重要人物のひとりであるかのような扱いです。少なくとも画面構成の中で非常に重要な配置がされています。
何という大事な扱われ方。これはもう描き手として身に余る光栄で、打ち震え椅子からずり落ちるしかありません。
と、そんなわけで劇場の椅子からずり落ちそうになりながらそのシーンを見終えて、感激のあまり後半の話も話半分にしか見ておられず(失礼なことで・・)エンドクレジットを迎えます。
時間にすればわずかのことです。「天地明察」には他にもたくさんの絵や美術品が登場し、いろんな絵描きさんが描いておられます。時間的には、紅白梅図より多くの時間映っている作品もあります。「羨ましいなあ」なんて最初思っていましたが、二度目の登場のあの格好良さを目の当たりにして、大事なシーンで活躍できたことが明らかになっただけでもうヒデキ感激なのであります。
てなわけでエンドクレジットをたらたら眺めます。
当然のことながら、自分の名がクレジットされるなどとは夢にも思っていません。そもそもそんな立場ではございません。いくら自意識過剰でもそこまで筋違いのあほではありません。
ところが最後の方で「細井工房」の名が出ました。
これはまったく予想していなかったので、ずり落ちそうな椅子からぴょんと跳び上がり、となりでぼーっと見ている奥さんに「あーっ」と素っ頓狂な声上げながらスクリーンを指さしてしましました。周りのお客様すいません。でもクレジットの終わりの方だしみんなぞろぞろと席を立っていたころなので大丈夫でしたよね。
スタジオで紅白梅図の絵を描いているとき、美術監督がご機嫌で見に来てくれては褒めてくださいました。完成した後も良い出来だ良い出来だと喜んでいただけて、滝田監督や中井貴一氏などにも「ねえねえ、この人が紅白梅図描いた人」と紹介していただいて、恐縮しまくっておったのでした。監督も絵を見て感心してくれていましたが、それがあのような形で完成作品に使われるとは、まったくもって至福の極みであります。
ありがとうございました。
この絵が出来るまでの工程をコラムのコーナー巨大「障壁画ができるまで」でレポートしました(ただし内容に深く関わっていることもあり、現在一般大公開は控えています)お申し出により、パスワードを解除しました。どなたでもご覧になれます。
あまり関係がなさそうで実は関係がある映画サイトでも同じ人が感想をしつこく書いていたりします。→Movie Boo 天地明察